毎日が実験。

気楽に生きるための実験。

生い立ちが幸せだからってうまくいくとは限らない。

水商売でもカウンセリングでも
いろんな人の話を積極的にきくのが仕事で、
もともと人間観察が趣味なので。
これまでの人生で、
生い立ちが壮絶っていう人にはずいぶん会ってきました。
 
もう最近はすっかり
事実は小説より奇なりっていうか、
本でもドラマでも全然新鮮さがない笑
 
なんつっても人のナマの人生のドラマチックさてすごいのです。

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で、言えることは
生育歴において愛情や承認に恵まれず傷つき続けた過去があっても
思春期以降に負の影響を自分で断ち切って自己実現を果たす人は
たくさんいる。
 
逆に、ほめられて愛情いっぱいで育って自己肯定感が豊かでも
思春期以降で社会との折り合いがつかずに
なかなか大成しない人もたくさんいる。
 
ってことです。
 
わたしは後者なんですけど、
子どもの頃家でうまくいってると、
外での自分の出し方がわからなくなってむしろ斜めにかまえる、
ってことはあるなあと感じます。
 
うちでは長女が、はやくもややこの状態^^;;
 
だから大事なのは、
生まれた家や親がどうだったかではなくて、
現実のこの世界で自分はどうやって幸せを得るか? を追求する気持ちだと思うんですよね。
 
素直すぎると現状に満足しすぎて思考停止したりもあるし、
ナナメに構えるところから入っても
それはそれでいろんな気づきがあるからよくて、
とにかく幸せになろう!という前提から全ては始まるのだと思います。
 
幸せはあるものに気づくこと、
って考えもありますが、
何に向かって歩くかという視点では
自分を最大限に世の中に生かすためにどうするか?
を追求することが人生の目的になるんではないかな、
 
というのがここ数年の「ビジネス」「お金」「豊かさ」を考える上での結論です。
 
 

自分のせいか、周りのせいか

100パーセント自分原因説、という考え方がありまして。
引き寄せの法則、でもいいけどね。
 
つまり周りで起こっていることは
いいことも悪いことも自分が起こしている。ということ。
これをそのままダイレクトに言うと、
ちょっと一足飛びすぎるのですが、
 
マニアックに知りたい人は
硬いのも柔らかいのも各種いろんな解説があるので
少しずつ読み進めていくのもオツなのですが、
 
何かトラブルがあった時、
あるいは恒常的に職場や家庭や、
人間関係がこじれている時に、
人のせいにしていると、
同じようなトラブルがずっと続いたり何回も起きたりします。
 

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よく聞くのが、
自分は周りのことを考えて一生懸命やっている、
こんなに人に気を使っているし迷惑をかけないように生きてるのに
自分にばかり嫌なことが降りかかってくるのはおかしい!
 
だから言いたくないけどあいつが悪い。
 
という言い分です。
こういう時ってもう、
客観的な視点からどう見えるか? ということに全く考えが及ばない。
 
わたしから見ると、
こういう人は「傷つきやすい」の一言に尽きる。
 
人に気を使うのは自分を守るため。
コンプレックスの裏返しで、
必要以上にいつもがんばっているので、
それが思った通りに認められないと
被害者意識がぐわーーーと燃え上がるんですね。
 
ま、誰しも自分被害者やわー、とか落ち込む時ってあるわけですけど、
自覚が薄すぎる人って、
立場が変わると人を攻撃に回るので
プライベートではほんと近づきたくないですね。
 
あ、
 
これはわたしの処世術でもあったようです。
つまり被害者意識の強そうな人には
最初から近づかない。
だから、周りの人に困らせられることがほとんどない。
 
ここは、今度、くわしく書きますね。

 

ネガティブをそぎ落とすこと

ネガティブをそぎ落とす過程についてもう少し。

つまり、自分を見つめて開いていくことで、
いらないこだわりを捨てていくことで、
自由で幸せになってきたなあと思う。

たとえば、怒ることはもうあまりない。
世の中への怒りが、
社会を変える原動力になる部分もあるので
人の怒りは否定しないし
むしろ、エネルギーが持続することがうらやましいって思ったりもするけど、

なんつっても怒ることは疲れるのだ。

日々いろんなアクションをしていて、
オットや子どももそれぞれに忙しく、
そんな中でワガママがぶつかりあった時に
短い時間で「それは嫌だ、とても困る」の発露として
イラっとすることはあるけど。

でもこう書いてみて気づいた。
時間をかけられる時には誰かを怒る必要ってやっぱ、ない。

伝える必要がある相手には時間をかければいいし、
いまわからないなら待てばいいし、
そもそもどうしてもわかってほしい相手ってそんなに多くない。

身近な人との間で、
お互い怒るのは時間や体力や気持ちの余裕が少ないってことでもあるんだな。

というわけで、お互いの利害について
しっかり向き合えるならば怒る必要はゼロになる。

同じようにヘコんだり不安になったりする気持ちは
対象をはっきりさせて向き合えばだいたい晴れてくる。
昨日、価値観を広げるという記事をFBでシェアしたけれど
つまり一段階広い視野、高い視座を持つと
ネガティブな気持ちって一つずつ「感じる必要がない」ことに気づいてくる。

ネガティブが誰にとっても必要ないとは言わない。
ネガティブな気持ちって、
自分に気づくための材料なんだ。

自分を知りたいと思わない人は、
いつまでもネガティブに取りつかれたままってこともあるかもねー。

自由と幸せを手に入れるための

改めて、心理と真理を扱う仕事に向き合っているので
わたしにとってのカウンセリングについて書いてみる。

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もともと「不健康になってしまってからのカウンセリング・心理療法」には
あまり興味がない。
実績とか人間理解のために、そのステップは一定期間踏んできたけれど、
やってみてやはり、それより大事にしたいことがある、と思う。

カウンセリングの効用はわたしにとっては病気の予防ですらない。
結果的にそうかもしれないが、
悪くなるかもしれないという前提は別にいらない。

 

カウンセリング、
対等の立場でじっくり話を聴いてくれる人との対話は、
自分の成長、
自由と幸せのためにあるとわたしは思う。


好きなことをして、
好きな人に囲まれて、
会いたい人に会いに行って、
思ったことを口に出して、
誰かに何か言われることを一切心配しないで、

 

誰のことも攻撃しないで、
世の中を信頼して、
未知をおそれないで、
人生の目的を追求するために歩いていく。

いま、わたしは自由で、幸せだ。

ここにくるために心理カウンセリングはとても役に立った。
これから歩いていく中でも、
なんどもなんども役に立てていくはずだ。

だから、わたしは、
自由と幸せを手に入れたい人の役に立ちたいんだ。

あなたの人生をもっともっと輝かせる手伝いをします。
よかったらきてね。

さらに詳しくはこちらへ。→わたしとのセッション

 

 

【感謝のバトン2日目】その3

うちのオットは、稀有な人。
思えば出会った時からそう思ってた。
それ、わたしが20歳で彼が19歳の時。
きゃー昔すぎる。
付き合うことになる4年前、
ただの飲み仲間だったけど当時から見た目も好きだったなあ。
なんでも器用にこなす彼ですが、
昔びっくりしたのはどうやら15歳くらいから髪を自分で切ってること。
今も。
人に切らせたのは結婚式の前日ぐらいだと思う。
美容院行ってよって言ったのに、
譲って床屋でさ。
晴れの日はとっちゃんボーヤみたいにされてたっけね。
あとね、
わたしと結婚してかなりお互い相性いいなーっていうのは、
要するに「付き合いがいい」人なんですよね。
自分から、特にあれやりたいこれやりたいってあんまりない。
たまにある時は、わたしが合わせるんだけど、
ほとんどわたしの「こうやりたい」を一緒に楽しめる。
最近は、人生の中で珍しく仕事に燃え尽きてる感じで、
家族サービスも若干手薄なんですけど、
まー時にはそういう時期もあったほうがいいよね。
サービスは少ないけど、
洗濯は100%やってる。
お皿洗いも半分かそれ以上やってる。えらい。
子どもたちの「理想の男性像」は、
父親を基準につくられると思うので。
うちのとーさんみたいな人は世の中あんまりいないんじゃないかと
思うけど、
いやそういや育児休暇も4ヶ月もとってたし
ある意味最先端でこれからは増えるのかもしれないしね。
理想は低いより高いほうがいいよね。
オットよ一緒に子育てしてくれてありがとう。
自由にさせてくれてありがとう。
いい妻でいようと思ったことはないけど、
あなたを一番好きな妻でずっといるつもりだよ。

【感謝のバトン2日目】その2

一体きみは、どっちの家系の誰に似たんですか?
と思うことの多い、
ユニークな娘2ちゃん。
妊婦の時からビールも飲んでキムチも食べてたせいか、
大人味が大好き。
お出かけも大好き。
去年くらいまでだいたいいつもおちゃらけて、
笑い転げていたのに、
年長さんになった最近では時々陰険に怒ったり威張ったりしています。
一対一の時は、
なんか主張があれば違うことしててもぱっと彼女に気持ちを向けるように、
努力してるwんだけれども、
お姉ちゃんやとーさんがいてみんなが違う話をしていると
タイミングを合わせられずに後回しにしちゃうこともやっぱりあって、
「つーのおはなしだけきいてくれないじゃん!」
とまたぷんすか。
いやー、ごめんごめん。
そんな時でもお菓子で釣ってしまったりすることをさらに反省したりしてます。
怒っても可愛いしすぐ釣られるのも可愛いとついつい思っちゃってさ。
でも大人がいないところで、優しい友達に対して
ものすごい威張ってるところをこっそり目撃すると
さすがに、みんなが威張ってる家でごめん・・・と本気でお友達に謝りたくなるよ。
上に比べてあまりにも
「ちゃんと育ててる」感がうすくて、
母の多様性を味わわせてくれてありがとう。
母がますますズボラになっても、のびのび自由に育ってくれてありがとう。
ほんとに何かあったら、母と父と姉が守ってあげるからね。

【感謝のバトン2日目】その1

娘1が生まれたのは10年前の6月。
わたしは初々しいにんぷさんでさ、
エコーを見て一喜一憂したり、
オットにしょうもないことで泣きついたり、
大騒ぎしたり、喜んだり、していました。
そうそう、10年前の臨月のGWは、
愛・地球博にドライブしたんだった。
あの時からずっと、
青春時代には好きだった切ない系のラブソング全般が
「辛気くさ!むり!」となって聴けなくなったんだなあ。
娘1って子どもなのに思慮深すぎるところがあるんだけど
それもそのはず、
赤ちゃん時代から幼少期までは
「自分の頭でよく考える賢い子」という子育てコンセプトだったのね。
確かにそうだったんだけど、
まあ考える量と、行動の量のバランスなんてなかなか
大人でもうまくいかないもので。
そんなに難しく考えなくても、
ひょいっと越えられたらいいのにねって、
何かの壁にぶつかるたびに思ってしまう母なのです。
あと、長子だからかなんか、
やること増やしちゃう傾向があるかもな。
自由への渇望が強くて、
結果的に時間がなくなっちゃってあれもこれもやってないじゃん、
ということが特に3年生から多く発生しているんだけど、
そもそも飽和状態なのかもしれない。
ということはやはり、
親の期待、を無意識に重く乗せている部分もあるのかも。
なるべく、期待はせずに信頼をしたいなって思ってはいるのですよ。
たくさん試行錯誤をして、母をやらせてもらっています。
わたしとこのうちを選んで生まれてきてくれてありがとう。
にょきにょき育ってくれてありがとう。
あなたは何があっても大丈夫。