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不登校、子どもをどう理解しようか

職業柄もあって、前から、
お子さんが不登校あるいは登校しぶりっていうママやパパとお話しする機会は多くあり、
わたしの中に不登校を自分なりに理解する前提があるようなので今日はそこを書きます。
 
子どもが学校に行かないっていったとき、
その選択が消極的なのか、
積極的なのか、最初の基準をそこに置いています。
 
うちは最初、
積極的に「学校に行かない」選択をしていました。
つまらないし面倒くさいクラスメイトがいるので、
行きません。
 
それはそれで、えーと・・・って困るわけですが、
親がやることは他の選択肢もいろいろ認識できるように助ける、
ということでよいと思うのです。
その過程で、もめたり、ぶつかったりは、あるとしても、
基本的にはね。
 
一方、消極的選択っていうのはどういうことかっていうと
「行かなきゃいけないのはわかってるけど、、、
いけないんだもん!」
というやつです。
とにかくやり過ごしてるっていう感じかな。
 
無意識の抵抗だったり、逃避の状態ですね。
 
そして付け加えるなら、
初めは積極的に行かない選択だったとしても、
時間を重ねたり親からの攻撃(と本人が受け取った場合ね)や
教師の仕切りのまずさによって
「行けない」と抵抗や逃避っていう気持ちにシフトしていく危険は容易に想像できるので
はやく対処しなければーってあせってしまう部分があります。
 
 
で、分かれ目はどこなのかってことですが、
消極的選択ってつまり、「弱気」なんですよね。
 
弱気になってるときは、
自分のために本当はどうしたらいいとか、
ちゃんと考えられません。
 
他の選択肢に飛びつきやすいですが、
それは逃げであって、当事者意識も薄くなります。
 
あるいは弱気がかさんで、
新しい選択肢を選べなくなって、
逃避したくなるっていう場合もあります。
 
うちの子に、転校したらいいじゃんって言っても、
その学校でも絶望したらどうしようって思うと選べない、、、
という気持ちになってるようなのはまさにこれですね。
 
 
学校に行かないっていう表面的な問題よりも、
「弱気」のスパイラルから抜け出せない状態のほうが、
将来的に心配です。
 

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